子供が頭を打った。救急車で病院へ行く料金は?

次男が家具の角に頭をぶつけ、流血した。そして、自分と次男は救急車で病院に運ばれた。健康保険証と財布をもって、心の中で次男の心配と、財布の中身の心配を少しした。まったく下衆な父親だ。

子供が頭を打った。流血、そして救急車

夜の救急病院は海外ドラマのERほどではないが、結構、人でも足りていないという感じだった。医者や看護師、その他スタッフの人はあちこち動き回って、息子を見ていた先生も、途中で席を離れたりと、緊急度に応じて臨機応変に動いているようだ。しかし、こちらは治療を受ける立場で、あれこれと口を挟む立場ではない。

しかし、あまりに待たされれば一言二言と言いたくなるのが人情だろう。だが、海外ドラマのERに代表されるように、医療ドラマのようなものを見る機会も多くなった。自分たちは患者の立場からしかものを見た事がない。しかし、医者の立場からものを見ると、忙しいのも仕方が無いと思うようになっていた。

次男の事はもちろん心配だ。だが、余計なことを言えば、それだけ余計な時間を無駄にするだけでなく、医者や看護師の精神的負担にもなる。ただでさえ、夜に仕事をしているのだし、息子にしても目を開けて息をしている。きちんと会話も出来るし、直ちに何か悪い事が起きる訳ではない。

そういう意味では、医療ドラマも役に立っているのかなと思う。

実際の所、次男に出血がある、大泣きした、という二つの事実は、どちらも普通で考えれば大変な出来事で、かなり不安になるシチュエーションだが、自分の知る限り、これは安心の目安だと思っている。だから、心の中ではそれほど大事ではないと安心はしていた。

だが、こう言う時は、不安になる事が頭をよぎる。例えば、割り箸事故などを思い出す。割り箸事故とは、自分が勝手に名前をつけただけだが、ご存知の方も多いと思う事故の一つだ。いつのことだったか忘れたが、子供が割り箸で遊んでいたか、ふざけていたのか、それが喉に刺さったという事故だ。想像するだけで痛々しいが、この事故の顛末は、そこで終わらない。

子供の喉に割り箸が刺さって、医者にそれを見てもらって治療を受けた。そこまでは良かった。その時には、医者も問題ないと判断し、親もそれに従って帰宅した。恐らく、親は安堵した事だろう。もし自分の子供の喉に割り箸が刺さったら、それは初めての事でもあるし、不安になる。しかし、医者が大丈夫だと言えば親も安心するだろう。それが悲劇となった。

帰宅して、子供の容態は急変したのだ。実は、割り箸は喉に刺さって、脳にまで達していたのだ。そこで脳に深刻なダメージがあったのか、あるいは、頭の他の部分が何らかの致命傷を負ったのかわからないが、結局、その子供は亡くなってしまった。

それは大きくニュースになり、親が医者を訴えると言うところまで事態は大きくなった。

自分が知っている二つの情報が頭の中を駆け巡る。安心していいと言う情報と、安易に安心しきっては行けないと言う情報。

そこで、治療中の先生と経過について説明を聞きながら、タイミングを見てもう少し詳しく検査できるか聞いてみようと思った。次男は結局4針くらい縫った。麻酔なしで針を通していくのだが、見ているこちらは痛々しくて仕方が無い。流血が酷かったので心配したのだが、血が止まってみると、ぱっくりと3センチくらい開いていたものの、それ程深い傷ではない事が分かった。先生の診断も、裂傷による出血で、傷を縫って治療は一応完了ということのようだ。

麻酔なしで次男は絶叫するかと思ったら、意外にも泣きさえしない。これは、頭の上で、傷が見えない場所なので、針で縫っていると言うビジュアルがない為だと思う。それを見ていたこちらは痛々しくて仕方が無かったが、次男は少しチクッとする程度にしか思っていなかったに違いない。まさか自分の頭に針を通して糸を通しているとは思ってもいなかっただろう。もし、自分の見える場所であったらきっと絶叫していただろう。なにせ、虫が体に直に止まっただけでパニックになるくらい恐がりだ。

この時の経験で、何か子供の治療をする時は、出来るだけ見せないように、注意をそらすようにしている。子供が怪我をしたりすると、傷をバンドエイドで貼るだけで大暴れと言うのもよくある話しだと思うが、傷さえ見せなければスムーズに行く事が多い。

傷を縫い終わると、こちらからではなく先生の方から「精密検査をしますか?」と聞いてきた。「できますか?」と聞くと、なんとその先生は「えっ!」というような表情をした。予想外の返事だったようだ。ということは、恐らく、医療事故とかあると困るので、一応声掛けをするが、本音は余計な事だと思っているのだろうと思った。

「精密検査もできますが、ちょっと時間がかかります。というか、担当がいないので、出来る人間が出勤してくるまでできません。」というような返事であったと思う。そうすると、今度は次男の心配よりも、面倒だなあと感じるようになってしまった。次男の様子で判断するに、もう大丈夫そうだ、ということだ。時間とお金と、次男の体を天秤にかける。

次男の事を考えれば、精密検査はすべきだろう。だが、医者の先生のリアクションを見る限り、恐らく、大丈夫であろうとも思う。しかし、割り箸事故のことを考えると、自分の直感ではなく、検査の結果と言う客観的な事実が欲しい。しかし、一通りの治療が終わった事もあり、安堵感もあって、今から何時間も待って検査するのも面倒だなあ、と正直思った。

しかし、ちょっと待て。どちらにしても待たなければ行けないなら帰ってもいいではないか。自分の中で解決策が閃いた。帰った後、次男の経過を見ながら、心配なら朝、もう一度病院に行けばいい。病院で待つのと変わらない。むしろ、いったん家に帰って休んだ方が、万が一の時にも動きやすい。

やや勝手な解釈もあるが、様子を見て、必要があれば精密検査を受ける事も出来るか尋ねると、それはもちろん可能だと言う返事であった。

ということで、深夜のごたごたはここでいったん終わりと言う事になった。タクシーで自宅に帰る事に決めたのだ。

深夜の会計窓口で手続きをする。次男は当時4歳児で、普段の医療費は無料だ。かつて、自分の住む県外で、深夜に病院にかかった時、この時は救急車ではなく、自分の車(といってもレンタカーだが)を使ったが、長男と次男の二人の治療で10000円くらいかかった記憶がある。その時は、お金がなく、振込で後日払った。今回はいくらかかるかと思ったら、結局治療費は全くかからなかった。

救急車の料金は無料だ。だが、救急車で運ばれて料金がかかるという話しも聞いた事がある。それは救急車の料金ではなく、病院でかかった治療費だ。だが、この治療費も、緊急である場合はかからないという話しである。以前、長男と次男の治療でかかったお金は、病院の治療費のようだ。そして、それは緊急ではないということで病院が請求したもののようである。

それが自分の居住する県内であれば、恐らくそれも無料であったと思う。何故なら、県外で治療を受けた際は、料金は無料にならないと言う事を聞いた事があるし、申請すれば、それが戻ってくるという話しも聞いた事がある。自分の住んでいる市町村の案内を調べてみると、確かにその旨が書いてある。だが面倒だったのでその治療費の請求はしていない。これは済んでいる市町村によって違うと思うが、概ね同じようなものだと思う。だから、お金の事はあまり心配せずに、ほどほどの治療を望むべきだろう。ほどほどというのは、無料だからといって過剰な医療を求めるべきでないと言う事だ。

その後、次男は数日で抜糸する事になる。結局、あの夜以外で病院に行ったのは一度だけ。怪我をした次の日、次男が生きているか確認した事は今でも覚えている。

大事なのは、怪我の後、経過をきちんと観察し、何か問題ないかは親が確認すべきということだろう。何せ、検査結果がよくても、容態が急変して死んでしまったニュースも聞いたことがあるからだ。

専門的な事は医者が判断する。だが、医者に見せるべきかは親が判断する事になる。そのとき、医者が大丈夫と言ったから、ずっと大丈夫と言う意味ではない。子供の様子に変化があったら、改めて医師に相談すべきだ。検査結果が問題なかったからと言って、ずっと大丈夫と言う意味でもない。その時点では大丈夫であったと思うべきだ。

あの割り箸事故も、親がどういう対応をとったか不明だ。だが、医者のせいだけでもなく、親の対応でまた違った結果があったかもしれない。

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