お菓子売り場の前で寝転んだまま動かない子供

ある日、スーパーのお菓子売り場の前で子供が泣き叫んでいた。「お菓子が欲しい」ということらしい。

母親は周囲を気にして、声のトーンを落として子供に注意している。「今日はお菓子は買わないという約束でしょ。」しかし、子供は泣き止まないばかり、声をさらに大きくする。近くを通る大人達は、特に何も言う訳ではないが視線をその親子に落としていく。

その子供の行動はさらにエスカレートして、遂には床に寝転んでしまった。大の字になって動こうとしないばかりか、通行の邪魔にさえなる。

母親は子供が泣き叫ぶのには耐えたが、通行の邪魔になるのには耐えられなかったようだ。遂に諦めて、子供にお菓子を買ってやる事にした。

子供は、小さいながらよく親の心理を心得ている。

母親は、まず子供が泣き叫ぶ事で、自分が虐待かなにかしていないかという疑惑を抱かれないように考える。特に手を出しさせしなければ、周りの人も子供が駄々をこねているというくらいにしか見ないだろう。

しかし、あまり声を上げてはいけないような場所では他人に迷惑にならないように、と母親は考える。例えば、病院の待合室とか、映画館の中とか、レストランの中とか、そういう場所は沢山ある。そういうところで声を上げると、母親はすぐに自分の言う事を聞いてくれると子供は学ぶ。子供のこのような学習能力は優れている。

その結果、他人に迷惑になるような行動をすると母親が自分の言う事を聞いてくれるということを学ぶ。通路の邪魔になる所に寝転ぶ、というのは正しくそのような行動だ。正しく、子供の最終兵器と言っていい。

これは全て子供自身の成功体験による学習だ。

だから、この子供の悪しき習慣を立つには、断固とした態度で戦わなくてはいけない。

例えば、我が家では子供がベビーカーを卒業して自分で歩き始めるようになった頃、同様のことで子供と何度も戦った。何度も言うのはしかし、せいぜい子供の数だけだ。

ある日、嫁が次男の病気で入院に付き添っていたので、私が三男を連れて買い物に出たときの事だった。

両手には重い買い物袋を下げていたが、帰る途中、案の定「だっこ、だっこ」と叫び始めた。

「だっこは出来ません」と言ったが三男は聞き分けが無い。実際、両手は荷物を持っているのでだっこは無理だ。すると、三男はだんだん声が絶叫に近いくらいの大声になってくる。周りを通る人たちはみんな注目する。お年寄りなどはそういう子供を見ると近寄ってきて「どうしたの?可哀想に」という声さえかけてくる。

嫁なら、その時点でギブアップしただろう。現に成功しているから、それが父親に代わっても同じ事を実行しているに違いない。

しかし、私はこう言った事を心得ているので、子供と距離を置きながら、何も声をかけず、子供が諦めるのを待った。子供の成功体験を書き換えてやるのだ。

子供は泣き叫び、何人もの老人が優しい声をかけ、警察官さえも通っていったが、自分は頑として譲らなかった。

三男は30分近く泣き続けた。その場に座り、寝転んで、通行の邪魔にもなった。そこを通る人に申し訳ないという気持ちは親として当然思うのだが、子供なので寛容に対応してくれる。親は何をやっているんだ、と思われるのは仕方が無い。親が悪者になるだけで子供が成長するなら、自分はいくらでも悪者になる。それくらい気持ちが必要だ。それは態度に表れる。子供は敏感にその親の動揺をキャッチするのだ。そこにつけ込んでくる。子供だからといって甘く見てはいけない。子供の感性は鋭いのだ。だから、頑とした態度で、一切うろたえない事が大事だ。

やがて、三男は叫び疲れたのか、泣くのを止めて、仕方なさそうに歩いてきた。歩けない訳ではないのだ。

ここで、三男は、泣くだけ無駄な事を学んだ。30分余計に疲れたと実感したかもしれない。そして結局、息子は家まで歩いて帰る事ができた。だっこは最後までしなかった。次の日に、同じようなシチュエーションになったが、今度は10分程度で収まった。都合、2回の戦いだったが、それ以降は、三男とは戦っていない。

そして、大事な事だと思うが、家に着いたら沢山ほめてやった。「すごいね、ちゃんと最後まで歩けたね」と声をかけた。すると三男は「うん、僕歩けるよ」と得意げに答えた。

ここで、泣くだけ無駄という事も学びながらも、三男は、自分はこれだけ歩く事が出来るという新しい成功体験を学んだのだと思う。

恥ずかしい、人に迷惑をかける、予定が狂う、様々な要因で親は妥協を迫られる。だが妥協をすると、今後も同じような妥協を再三再四にわたって繰り返す事になる。だから思い切って戦うべきだ。せいぜい、2回か3回の戦いだ。それが終われば、子供の悪いクセが直るばかりか、こどもは自分の成長を自分で肯定する事にもなる。

今日も三男と二人で出掛けたが、眠そうになりながらも、最後まで歩いて家まで帰る事が出来た。今の三男に「だっこをしてもらう」という考えはこれっぽっちもないようだ。

たまに次男の幼稚園の行き来に連れて行く事もあるが、三男が幼稚園から家まで歩いていくということを知って、次男の友達のお母さんに驚かれることがよくある。「すごいねぇ、家まで歩くんだ」と三男はよく感心される。それを聞いて三男はとても得意げな顔をする。成功体験がこうして強化されていくのかなと思う。

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