桃の香りがよく、部屋中にその芳香な香りが充満している。当然子供も気がつく。
一番下の息子は3歳でまだまだちびっこだが、この息子が桃の香りの元を求めて、イスを持ち出してテーブルの上に鎮座している桃の香りを近くで嗅ごうと試行錯誤していた。試行錯誤していた、というのは実は想像で、その時の息子を実は見ていない。
そして、悲劇は起った。桃が箱ごとキッチンのテーブルから落ちたのだ。
「あーっ!!!」と嫁が絶叫する。その時は、いつもの嫁の絶叫と思って気にもしなかった。
そしたら真ん中の息子がその顛末を報告に着た。この頃の子供は告げ口が好きだ。自分が叱られるのは嫌だが、自分以外の子が叱られるのは好きなのだ。好きというと語弊があるが、自分だけ叱られるのが嫌なのだ。だから、他の子が叱られて当然と思う事をやって、それに大人が気がつかないとそれを報告にくる。平等に叱って欲しいと思うのだ。
桃好きの自分としては一大事だ。桃が箱ごと落ちたと知っては。
ということで、この3歳の息子を怒鳴り散らした。たかが桃の事で、かなり怒った。
幸いにも被害は1個の桃だけで、他は大丈夫なようだ。その時はかなり怒ったし、事実、腹も立っていたのだが、次第に冷静になってくると叱りすぎたかなと思うようになった。
それと同時に、自分が小学生くらいのことを思い出した。
当時、2世帯で祖母達と同じ屋根の下で暮らしていたのだが、祖母の台所で今回と同じような事が起きたのだ。
詳細は覚えていない。その時は、桃の代わりにキッチンの床を傷つけたのだ。確か、何かで焦がしたような気がする。で、自分の記憶では、床が焦げなければ、自分が火傷してしまうというシチュエーションだったということだ。
つまり、自分が火傷する事を我慢すれば、床は焦げずに済んだということだ。もちろん、その前提には自分が不注意だったという事がある。その不注意が原因で、床を焦がすか、それとも火傷をするかという選択があったのだ。
その時の祖母が言った言葉を今でも自分は覚えている。事の詳細は覚えていないが、その言葉ははっきり記憶している。
かなり怒って「火傷は治るけど、床は焦げたら直らん!」と言ったのだ。
しかし、その言葉を聞いて、自分は妙に納得した事を覚えている。自分の育った家は正直、裕福とは言えない。表面はそれなりに装っていたが、やはりお金がないのは子供にも分かる。我が家は職人の家で、父と祖父が家で働いていて、よく深夜まで仕事をしていた事を覚えている。たまに祖母も仕事を手伝っていた。
子供ながらにも、今の生活は、家族が総出で働いて維持している事がわかっていたし、当時だって一軒家を建てるのには相当のお金がいる事くらい分かっていたと思う。その家族総出で働いて稼いだお金で建てた家が、自分の不注意で焦がされたのだ。
自分が火傷するのは嫌だ。子供でもそう思う。でも、たかが床だが、その床が出来た経緯を肌身で感じているので、自分の家族が一生懸命働いた結果を傷つけたと、子供ながらに思ったのだ。
床を焦がしたのではない、家族の努力の結果を焦がしたのだ。
だから、自分の孫が火傷するかもしれないというのに床の心配をするのか、と子供ながらに傷つくということは無かった。
たかが床だが、その価値観は見るものによって違う。桃もそうだ。
嫁の母親が孫の為にと思って送ってきたものだ。そして、スーパーの桃ではなく産地直送の桃を送ってきた。値段はそれなりにするはずだ。当日の朝、もぎたての桃を送りましたと、生産者の声も入っている。生産者も自分の作った自慢の桃だ。柔らかい桃を傷つけないようにクッションを入れて梱包も丁寧にする。宅配便の人も、取扱注意というシールを見て、また、桃のパッケージを見て、かなり丁寧に扱ったという事が想像できる。
そこまでの手間を払って、あの柔らかく傷つきやすい桃が自宅に届いたのだ。ほどんど無傷で。しかし、それを息子が不注意で全てを無駄にしかねなかったのだ。
もちろん、息子の手が届かない場所に置いておくなり自分にも多いに非がある。だが、息子にも、たかが桃だが、その価値観について想像ができるくらいの感性を持って欲しいと思う。今は、叱られた事で、桃を落とすとかなり叱られるという事だけを学んだ。だが、いずれ、どうしてそこまで怒ったのかということについて考える日が来るかもしれない。そのギャップについて考える時、子供の感性はあがっていくのだろう。
たかが桃だが、されど桃でもある。
痛んでしまったので、冷やしてすぐに切ってみた。思いのほかジューシーでおいしかった。切った瞬間にあふれる果汁が桃の魅力だ。