次男が口唇口蓋裂であることを忘れていた

口唇口蓋裂という生まれながらの異常がある。程度の差はあるが、赤ちゃんの口元に裂け目ができる先天性異常だ。

実は、次男はその異常をもって生まれてきた。生まれてすぐに新生児黄疸と診断され、光線治療を受ける事になって、すぐに別室で隔離されてしまったので異常にすぐには気付かなかった。

新生児黄疸とは、体や目が黄色くなってくる症状だが、それ程心配する症状ではない。多かれ少なかれ、新生児の多くはこの新生児黄疸の症状がでる。24時間程度、紫外線を浴びれば症状はよくなる。次男は結局3回くらい光線治療を受けた。

生まれてなかなか我が子をだっこできなかった。長男を連れて病院へ行ったものの、ガラス越しに離れた所から二人目の息子を眺めるしか無かった。

ようやく次男を抱っこできたときの喜びで、あまり小さな事は気がつかなかった。だが写真やビデオを撮影して、それを家に帰って見返していたときだった。

どうも鼻の穴が歪んで見える。なにかおかしい事に気がついた。子供の鼻の穴がこんな風に左右比対称で歪んでいるものか?そう思うと、新生児の写真をググって集めては比べてみた。新生児の写真は、それこそ我が子の写真をアップしているということは少ない。何らかの商業的な写真だったりするので、比較的顔立ちのよい写真がほとんどだ。

それにしても、やはりおかしい。他の新生児の写真と比べるというのは、何だが家電の新製品を買った後に、それが正しい選択だったと安心したくて、再び自分が購入した家電のレビューを調べまくるような行動に似ている。はっきり言ってどうでもいい行動だ。だが心の安らぎが欲しくて、そんなどうでもいい行動をする。ただ、ただ不安なのだ。

すぐに嫁に電話して、どうも鼻が歪んでいるようだと伝えた。「きっと大丈夫だよ」嫁はそういったが、確かめたくても息子は再び光り治療を受けていたので、嫁も我が子を直に確認する事が出来ない。

息子の写真を眺めていると、口元も歪んでいるような気がした。それは息子の表情でそうなっていると思い込んでいたが、よくよく見てみるとどの写真も口元が歪んで見える。

次の日、病院に出かけ、担当の先生のそのことを話した。何か先の見えない不安があった。口唇口蓋裂と言っても症状は酷くない。それはすぐにその異常に気がつかなかったことからも分かっている。でも我が子が何か先天性の異常をもって生まれてきたという事の多少のショックはあった。

すると、担当の先生とは別の先生が病室にやってきた。どうもそういった事の専門の先生らしい。口を開けてみて、口の中に手を入れて何かを確認する。口の中に穴が空いていないか調べているのだ。一通り調べたとに、「口唇口蓋裂ですね」と言った。「口の中に穴は空いていないですし、それ程酷いものではありませんが」と付け加えた。

涙が出てくる程、悲しい訳ではなかった。ちょっと見た目が悪いだけだ。ただ、どんよりとした、何だか先の見えない不安のようなものが自分と嫁の心の中にはあった。

あれから5年。先日、次男が歯の治療の為に入院した。口唇口蓋裂の症状の一つで、歯が曲がって生えてくるため、その歯を抜く手術が必要になったのだ。しかし、息子が口唇口蓋裂であることをすっかり忘れていた。あの時は、あれほど不安だったのに。元気に成長して、いつもふざけて笑っては、嫁や自分に叱られている。実はこの手術は2回目だ。一度目は形成の手術。3度目の手術もしなければいけないことが決まっている。

でも、次男が口唇口蓋裂であることは忘れていた。それ程、どうでも良い事のように思えるのだ。

形成の手術をしたとはいえ、よく見れば口元は歪んでいる。だが口元は歪んでいてもそれが息子の顔なのだ。自分も嫁も気にしていない。親が気にしていないから、恐らく次男も気にしていない。思春期にはどうなるか分からない。でも少なくとも親は気にしてはいけないと思う。それが子供の心にも伝染する。

嫁の友達にもっと症状の大きい口唇口蓋裂の友達がいた。障害者手帳をもっているくらい程度は大きい。だが手術で遠目には分からない。それに本人があまり気にしていないから、こちらもあまり気にしなかった。それに比べると次男はもっとましだ。比較するのもどうかと思うが、どちらにしても気のもちようだ。

生まれたときは、親である自分や嫁が、自分の責任ではないかと悩んでいた事を思い出す。ちっちゃい長男と次男をだっこして1時間かけて病院まで通った事もあったがすっかり忘れていた。それ程、息子達と過ごす今が幸せなのだ。

どんなに大変な事があっても、最後に幸せであれば全て帳消しになる。だから、常に未来に幸せがある事を願って生きる事が大事だ。少なくとも幸せを願わなければ、幸せは自分の元にやってこない。

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