ママ、言わないで!子どもが自信を失う言葉66

次男を幼稚園に送って帰ってきた嫁が、ソファーに座り込んでkindleで本を読みだした。読みかけの本が面白いらしく読みたくて仕方が無いと言う感じだった。すると、嫁が突然笑い出した。

そして、例によってクイズだ。

「『そんなくだらないことやめなさい』って子供を否定するのはよく無いんだって。なんて言ったらいいと思う?」

「そうだな、やめろ!かな」と言うと「思いっきり否定じゃん」と返ってくる。まあ、そうだよね。「答えは?」と尋ねると

「『楽しそうね』と言うか、笑顔で黙って温かく見守る。」

どうも、この「笑顔で黙って温かく見守る」というのがツボにはまったらしい。

子供にやり遂げる力を付ける

そういえば、息子がくだらない事をやっているとき、じっと見ている事がある。息子はそれに気がつき、自分のやっている事がいいのかわるいのかと迷った様子を見せながらも遊び続ける。

こちらとしては、言葉をかける前に目ヂカラで伝えようと言うわけだ。だが、息子は遊びたいと言う気持ちが強く、遊び続ける。

この本に寄れば、子供が熱中する事に意義があるという。それは確かにそうだ。それは同意する。そして一方で、著者はゲームやマンガに熱中する子供が、自分で時間を浪費していると感じているという調査結果がある事にも触れる。これにも同意できる。

著者が結論として言いたかったのは、子供時代に、好きな事に熱中する時間をたくさんもった子供は、大人になっても集中してやり遂げる力がつくということのようだ。

これも全く同意なのだが、自分はちょっと違った見方をしている。

東大の受験に6回失敗しても、やる遂げるべきか?

やり遂げる力というのは、例えばエジソンのように999回の失敗をしても、最後の1回で成功すれば良いと言うような考え方だと思う。つまり、失敗や困難に直面しても、諦めずに最後までやり遂げる力のことだ。

だが、自分自身を振り返ってみてどうだろうか?

例えば、自分などは人生の中で何度、失敗し、挫折し諦めた事が多いことか。私の場合は、例えば、大学受験に失敗した。目標の大学に入学できないので、自分でも入学できる大学を探して合格した。

一方で、東大に合格すると言う目標を持って、6年近く浪人してがんばる人の話を聞いた事もある。だが、この人は、諦めずに東大を目指すべきだろうか?

好きな事は誰でも熱中する。それが好きと言う事だからだ。だが、やり遂げると言うことになると、どうしてもその人の能力に関係がでてくる。例えば、バスケットボールの選手の場合、体の大きい欧米人と体の小さい日本人では、欧米人の方が圧倒的有利だ。能力だけでなく、もって産まれた体格でも差が出てくる。

他人の力を借りて目標を達成したアインシュタイン

自分の経験では、自分に出来ない事は少しずつ目標を修正して行く。できることで最大限の結果を目指すと言う事だ。

バスケットボールでいえば、日本人の小柄な体格を上手く利用してプレーする。決して欧米人のプロを目標にしてはいけない。

だから999回の失敗をしても、最後の1回で成功できる目標を設定させる事が大事だ。能力に寄っては不可能な事があることも事実なのだ。そこで、自分の能力の限界を悟り、他の方法で目標に向かうなどの工夫が必要だ。

アインシュタインは数学があまり好きではなかったようで、証明に必要な計算を妻のミレヴァ・マリッチに頼んでいたといいます。つまり、彼の相対性理論を数学的に証明したのは彼女なのです。でも、アインシュタインは自分の目標を達成することができた。この工夫がやり遂げる力だと思う。

自分の能力の限界を知るというは大事な事だ。能力の限界を知る事は、しかし、目標の達成が遠のくどころか、近づけることになる。

嫁はこう言う本が好きだが、こういう言葉はダメで、こういう言葉がいいという、どちらか一方が正しいというものの考え方をしてしまうので、飽くまで具体例の一つであって、自分の子供に合うか合わないかは状況をみて親がしっかりと判断すべしだということを付け加えることにしている。

子供が飽きるまでとことんつき合う母親

他にも、この本に書いてある「置いていくよ」ではなく、「子供が飽きるまでとことんつき合う」を実践しているお母さんを知っている。この本を読んでいるのではないかと思うくらいピッタリ当てはまる。

次男の友達だが、この子のお母さんは、子供が遊ぶのを止めるまで、いつまでも幼稚園にいる。決して「帰ろう」とは言わない。ものすごく子供の育て方に熱心で、一本筋が通っている。よく嫁が教育論を聞かされて帰ってくる。

一方、次男は有無を言わせずこちらの都合で帰らせる。「置いていくよ」どころか引っ張ってでも帰らせる。

次男の友達のお母さんは、この本の著者のように、「子供が自分の気持ちを押し殺してしまうより子供の心を満足させ、自尊心や知能を育てる」ことが念頭にあるのだろう。

だが次男の場合は、「自分の都合で、人を振り回さない」ということを教えてたいとおもって無理矢理にでも帰らせる。親の都合で、子供を振り回していると言う見方も出来るが、我が家の場合はルールを最初に作っておく。遊ぶのは3時までと決めているのだ。3時からは大人の用事をする時間と決めてある。

こうして、こどもにルールの大切さを教えている。だから、どちらの親も正しいと言える。もちろん、どちらにも改善点はあると思う。

この本は、いつも親が言ってしまいがちな言葉の言い換えということだが、その言い換えについては参考になる事はたくさんある。

ブレーキの使い方を教えるか、ハンドルコントロールを教えるか。

「廊下を走るな」ということと「廊下はゆっくり歩きましょう」というのはやって欲しい事は同じだが言い方が違う。ちょうど、自転車のブレーキの使い方を教えるのと、ゆっくりした速度で自転車のハンドルをコントロールすることを教えるのと同じくらいの違いがある。

子供の受け取り方も違う。子供の理解度も違う。そういった観点からは勉強になるのでとても参考になる。

ただし、そのまま実践をするのは危険だ。だから、参考にしつつ、批判的にも考えて実践することが必要だ。言葉の魔法で子供はグングン伸びていくということだが、その言葉を考える大人がグングン伸びる手助けになるだろう。

子供の目標を達成する為に、ブレーキの使い方を教えるか、ハンドルコントロールを教えるか、その違いが言葉の違いになる。それが言葉の魔法になる。

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